俳優になりたい!シリーズの続編です。
ついにぼくは俳優になりました。正式に「関西芸術座」の座員になったわけです。
すぐにもらった役はヘレンケラーとサリバン先生の物語「奇跡の人」でした。
商業演劇でも上演されることの多い作品です。
ぼくの役はもともとはありませんでした。
主人公宅で雇われている黒人農夫の役です。
なぜもともとなかった役が作られたのか?
それは、舞台設営の人手が足りなかったからです。
市民劇場であれ、学校の体育館であれ、舞台の設営は力仕事です。
市民劇場ではあらゆる舞台芸術ができるように設計されているため、劇場裏からトラックをピタリと寄せて、フラットに搬入作業ができます。
ですが学校の体育館ではトラックから荷物を出して段差のある中を歩いて運び入れなければなりません。また、奥行が足りないため、骨組みの鉄骨の上に板を乗せて舞台を広くし「張り出し」を作らねばなりません。
セットや照明機材、音響機材の重いこと、重いこと!
したがって、当初の台本にはない役柄を作り、舞台の設営の人手を確保するというわけです。
裏方だけではなく俳優も総出で機材を運び、組み立てます。主役であろうがなかろうが。
舞台の設営と撤収は時間との闘いでもあります。初舞台からしばらくは演出部の方から怒鳴られ、えらい大変でした。特に撤収時のトラックへの積み込みは大変です。2tトラックに上手に積まなければ幌をかけることも、ロープでしっかりと固定することもできません。トラックに乗って、どの順番にセットや機材を組み入れていくかは若手の男性団員の仕事です。
初めての役はセリフは一言、登場シーンも3回ほど。
役作りなんて求められていません、求められたのは力仕事でした。
大阪近辺での公演の場合は、当日入りし舞台設営、午後から1公演、夕方撤収。
少し遠方となると、前日入りし舞台設営、宿で一泊し、翌日に1~2公演、夕方撤収、帰阪となります。
地方巡演となると、2週間から1か月かけて全国を回ることになります。移動は公共交通機関を使います。
ちなみに1公演のギャラは8,000円でした。昼食は自腹の時もあれば、主催者側が負担してくださることもありました。
泊りの場合は宿と食事が劇団から用意されます。
稽古の際には稽古手当がほんの少しでました。1日500円くらいだったかな?
1つの演目を2,3年かけて上演します。当時の関西芸術座では2つの演目で回っていたと思います。
2,3年かけて回って演目が終了した際には10万円の手当が出ていました。